友達について

いや、これは見ている方がいらっしゃるかもしれないので
ま、、、、いいのか。こんな事書いて。。(汗
でも、どうせ行く末は分かっているので。もう迷わない。。


友達っていうのがある。
それは、相手を思っていてくれて気遣ってくれる人だと思ってる。
(私の思想では、少なくてもそう思う。)
だが、そうでない友達がいる。。それは知り合いと認識している。
でも、今置かれている状況に関して言えばそうではない。
友達もやがては友達でなくなってしまうのだ。
それはホント寂しい事だが、現実の世界では起こっているのだ。
以前、凄く親しいと思っていた友達が何故か単なる習慣として会うだけの
存在。。。
利害関係こそないが、単に習慣のみ。会ってもあんまり親しみが沸かず
単に居たんだ〜的な存在のような。。。
そんな、存在になってしまった実例があるのだ。
はたしてそれは、友達と呼べるのだろうか?
ぶっきらぼうだけど、相手を思う思いやりがあるのが友達ではないのだろうか。
古いかもしれないが、私にはそういう事が友達であるという考えがあるのだ。
でも、こんな事も考えれる
友達として、続いて来たがそれが時間の経過と共にどうしても疎遠となって
結局は元の友達が居ないあの時に戻るんじゃないかと。。
戻った先には、何も無い。そんな世界のみが広がっている。
だから、人々はチャットなりブログなりネットを介して友達を常に探すんじゃ
ないのだろうか。
沢山の友達を作り、そしてそれを必死になって守ろうとする。
それができなかった時に、暴走し、いじめが起きる。
下手すると今後は、使い捨てor一瞬にして友達になれる〜なんていう物ができる
かもしれない。
ただ、そこには真の友情なんていう物は存在しない。
存在するのは、お友達になった仮面をつけた存在の人間達だけだ。


さてはて、先ほど言った「どうせ行く末は分かっている」という事についてだが。。
私の経験からして、どんなに頑張っても友達は所詮知り合いor会うのが習慣的な
物になってしまうのだ。
それは、どんな手段を使っても変わらない。
なぜならば、人間は利己主義的な所があり、結局は自分が可愛いからだ。
角言う私も自分が可愛いとわかっている。でも、これは悪い事じゃない。
だが、これをつき進めていくと実は友達が知り合いになってしまったり
疎遠になる要因にもなるのだ。
いわゆる、相手を思うよりも自分。。っていう考えがあるのだ。
ま、私もその事はある。
今ある色々な問題を解決するの方がはるかに重要だから。
でも、本来は日本人はそうじゃなかった。特に昔の人は。。
ただ、今日においてはそれが自然となってしまった。
進化した先の話でもあり、情緒や日本的な物が失われてしまった歴史でもある。
最近はどうしてこうなってしまったのか、ひっかかっていたが
色々と考えていくうちにこの結果にたどり着いた。
ふぅ。。今はそういう考え方の人はいないとしたらこれから先の世の中は
氷の世界だと言っても差し支えない。
助け合った時代の人からすれば、衝撃の話となるだろうが現実として
そうなってしまった日本が情けなくもある。
欧米化すれば全ていいかという話じゃないのに・・