熟考の意味

色々と食事時に考えていた事なのだが、何故か思うことがあって
急遽書く事にした。

私は、考えてから行動を取る人間である。
なので、話す時も何かするために動く時もそのようにしている。
以前は、それが当たり前だったし、今でもそうは変わらない。
だが、前と違って変わった事がある。
それは、思考のやり方だ。
元々は、理系的思考(時間がどうだとか、金銭などの数値的時間的なものが絡んでくる物)
をメインとしていた。
いや、それだけだった。。それ以外は意味が無いと言うことで排除していたのだ。

今では、それが違う方向に進んでいる。
どんな方向かというと。。
文型的思考に進み始めているのだ。
そこには、心の心理。。深い闇。。内面での判断。。などが含まれる。
いや、それ以外にもあるかも知れない。
あるゲームをきっかけにそれを感じ取るようになったのは、以前の話で分かっているとは思う。
これが良い事なのか悪い事なのか。。。
タブソ、良い事も悪い事も判断はつかないと思う。。

それも置いといて。。
心で物事を考えていると、、今外に逝かなければならない事があった。。
だが、私としては他の事をやり終えてから出ないと不安なのだ。
パソコンであるものを作らないといけないのだ。。
だが、それは時間という束縛が許さない。。
確かに空間的時間的に制約はあるのだ。。
でも、それが始まったら。。。どうなるのか。。
そう、思考の時間は止まり、やがて思考さえも許されなくなる。
思考は、他の事柄に取られて、思考はその事柄のみに進むだろう。
漏れは、そんな状態でもやるのか。。。
やる価値は?それに何の重みが?
。。。
確かに、やらないといけないギリギリの場所にいるのは確かだ。
だが、それによって『心の思考』という最上の時間を取られてしまうのは
あまりにも苦痛であった。

駄々をこねればいいのか。。
そう、思えば、私は昔から駄々をこねなかった。
いや、駄々をこねるのは無駄だと論理的に思ったのだ。
それによって、心の闇に駄々をこねる自分を葬ってきたのだ。
でも、それがはたしてよい事だったのか?
はたして、良い自分であったのか。
確かに、他の人(自分以外の人間)からは物分りが良い人と写るだろう。
だが、違う。
単に闇に葬ってきただけなのだ。
葬って、葬って、葬って、葬って。。。
実現できないから、葬っただけなのだ。
葬っても、未だに生きているのだ。そいつらは。
いや、死ぬ事も無いだろう。。
逆に言えば、くすぶりつづけているというか。。
それを私は見て見ぬ振りをしなければならなかった。
いや、単に気づきたくなかった気がする。
今までそういう思考を止めていたというか。。鍵が堅牢で長年耐えていた錠が風雪でボロボロになり
ある日突然、壊れてしまって不意にちょこっと空いている状態。。
タブソ、今の状態がそれだ。
。。。
あの時に、暴れていれば良かったのかも知れない。
でも、その時は思いとどまった。はたして、それがこの場で実現するかどうかの狭間をシュミュレーションしてきて。。
で、結局はできない。。という絶望だけが支配してそれを消すために闇に葬り
何事も無かったかのように、笑顔と首を立てに振っただけなのだ。
その事についてはお仕舞い。。そう、そこで何もかも考えずに。。
逆に言えば、突然暗い心の奥底・深淵に落とされたその物は、何がどうなったのか分からずに。。
タブソ、泣いたり色々としただろう。。だが、現状が分かった時にそいつらは。。
『じっとして待った』のだ。
そう、チャンスをうかがう事を。
それによって、自分達が這い出る事を。。
。。。
あの時に、暴れていたらどうなったか。。
タブソ、自我を抑制できなかったと思う。
漏れはある時に、喧嘩をしそうになった事がある。
まじめに、切れた。。ってやつだ。
だが、その時に自分の理性が保てなくなり、頭がふらふらし始めていた事に気がついた。
「このままでは危ない!。。制御できなくなる!!!。。。」
そう自分の危機を感じ取って、その場は冷静になって理性を優先したのだ。
あの時に、そのまま突っ走ったら暴力の嵐だっただろう。。
間違い無く、相手を叩きのめしていただろう。。いや、叩きのめすぐらいならマシかもしれない。
下手すると、暴走して何もかも破壊していた可能性さえあるのだ。
あの時ほど、理性を失った自分が怖い事は無かった。
ある意味、漏れのもう一人の形。
厄介なのは、漏れという同一人物なのだ。
知っているからこそ、怖いのだ。何をするのかが。。
切れるどころの話で終らない可能性だってあったのだ。。
あの時以来、漏れは思考を張り巡らせる事を止めた。
止めないと、人に危害を与える可能性があるのだ。
馬鹿馬鹿しいとなるだけならいいが、、、いや、それだけならいいのだ。
馬鹿とか言っていられないレベルになる危険性があった。
なので、ひたすら無反応を示していたのかもしれない。
皮を被ってとにかく、耐える。。嫌味や攻撃に対しても。。
それしか、危険を回避する方法がなかった。いや、自我を出したら。。。すでに、どうなるか分からない
危険な状態だったのだ。
これは、残念な事に症状としては自覚ができるが、傷がついたなどという物理的要因ではないのだ。
いわゆる精神的なことなのだ。
タブソ、昔いじめらた時のトラウマだと思う。。。
いじめられた時の話は又今度にしよう。